ビブリ・カル子の
「OH!! ビブリカルDAY〜♪」
まずマタイの福音書11章5節・・・・
ここは預言者イザヤの預言の成就ですね。

マタイの福音書11章6節は、有名な、
「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
このつまずかない者→というのは、別訳で、腹を立てない、とも訳せるそうです。

「イエス・キリスト」と聞いただけで、腹を立てる人がいるんです。
伝道していると分かりますが、キリストと言っただけで、怒りだす人がいます。

夜、ある教会の屋根の上に光る赤い十字架を見て、どなり込んで来た人がいたとか・・・
悪霊追い出しによって、その人は、イエスを信じる人に変わった、という証は、
多く聞くところです。

私は、小学生の時に、このマタイの福音書11章の29節のセンテンスをもって、聖書を
教えてくれている教会の教師の方に、「どうして、イエスさまは、自分で、自分の事を、
心優しくへり下っている、と言うのですか?」と、聞いたことがあります。その時の先生は、
実に心優しく、へりくだっていた方でした。いつも私の質問にニコニコして、
「ウン、ソーダネ!」「ソー思うよね。」と言って、CSの子供達の質問に答えて下さった
のでした。
このみことばにつまづかないで、今、クリスチャンライフを送っていられるのは、
その教師の方の愛と、とりなしによるものだ、と確信をもっています。

私たち人間は、
本当の優しさ真のへりくだり、を知るためには、
☆主イエスを知らないと、分からないんです。
世の中は、見せかけの謙遜、慇懃無礼な人が、へりくだっていると思っているのです。
コレは、大間違いです。
☆主イエスのくびきを負って、主イエスから、学ばないと、分からない。
又、そうしないと、魂に安らぎがこないのです。

マタイの福音書11章28節のおことばは、多くの人たちを力づけたおことばです。
私も、このおことばの門をくぐって、キリストに会った一人です。
イエス・キリストは、全て知っておられる全能の主。
何の説明も要らないのです。あなたの心そのまま、知っておられるのです。
ただ、行けば良いのです。主イエスのところに、行くだけです。楽になります。
あなたも、ラクになって下さい。頑張らなくて良いです。

主イエスに行く事が、できないんです。人間は・・・・
イエス様の側に行けない。又、行かないのです。
これは、自分の意志です。へりくだりとも言えます。
ここに選択があります。(人生最大の選択です。)

私たちのくびきも、荷も、共に負って下さるのは、主だけです。
見ているだけで、指1本も貸さずに、「大変だね!頑張ってね」ではないのです。

“良きサマリヤ人”・・・・を思い出しますが・・・・(ルカの福音書10章29節〜37節)
祭司、レビ人は、困って半殺しになっている人を見ても、反対側の道を通って
行ったでしょ。
あの箇所は、深いメッセージがあります。

しかし、当時ユダヤ人と交際してなかった、見下されていたサマリヤ人が、近寄って傷に
オリーブ油とぶどう酒を注いで・・・

これが、
イエスの愛です。神の愛です。近寄ってくださるのです。
ここに私たちの真の安らぎがあります。

この愛の中でしか、私たちは重荷をおろすことはできないのです。
安息を得ることができないのです。

神の愛を知らないと、私たちは、くびきがどんどん重くなり、荷が重くなって、
押しつぶされてしまうのです。

神に信頼して、進みましょう。
今私も、フットプリントの詩を読みながら、「主よ!」「主よ!」と御名をよびつつ
書いてます。どれだけ主に信頼するか。
どれだけ神の恵みを喜ぶか。
神の側に走り行くか!!

主のところに行って、休みましょう。



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<つまずかない者は幸い>