ビブリ・カル子の
「OH!! ビブリカルDAY〜♪」
☆新改訳...「あなたは生ける神の御子キリストです。」
☆口語訳...「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」

あなたはどちらの訳を支持しますか?好きですか?
私は、この16章16節の訳は、口語の方がピタッ!!ときます。
ペテロの性格から考えても、口語訳の方が霊にストンと落ちてきます。

この告白をしてから、彼はバルヨナ・シモンから
ペテロと呼ばれていくのです。
しかし、23節には、ペテロに対して、主が、
「下がれ。サタン。」とおしゃっています。
☆ペテロと言われた人物が、今度は
サタンと呼ばれるのです。
私たちは、神から目を離したら、すぐに神の邪魔をする者になります。
神の前に立ちはだかってしまう者になります。
神のことを思わず、人の事を思ったら、サタンに引っぱられる者となるのです。
詳訳聖書には、ここは、人間の本性に属する事を考えている、と記されています。
今、何を思い、何を見ているか。
これが、分水嶺となるのです。
「あなたはペテロです。」 or 「下がれ。サタン。」
私たちは気をつけなければいけません。

26節に注目してみましょう。
まことのいのちと書かれていますね。
25節には、
いのちと書かれているのに、
26節には、
まことのいのちと書かれています。
又、違う訳を見てみましょう。

25節...

だれでも、自分の(現世の)いのち(地上の慰めと安泰)を救うことに一心に
努める者は、(永遠のいのちを)失い、まただれでも、私のために自分の
いのち(地上の慰めと安泰)を失う者は、(永久に続くいのちを)見いだす
からである。

26節
もし人が、全世界を手に入れても、自分のいのち(神の国における自分の、
祝福されたいのち)を喪失したら、なんでその人の益になろうか。人は自分の
(祝福された)いのち(神の国におけるいのち)の引き替えに、何を与える
ことができようか。


いのちには、2つの定義があるということです。
現世における(地上での)いのちと、神の国における永遠のいのちです。
私たちは、この
まことのいのちをいただいている者たちなのです。ハレルヤ。

バルヨナ・シモンという人は、実におもしろい、ユニークな所をもち合わせた人
です。
愛すべき人物でもありますね。
人は、失敗しながら、前進する者ですもの....

引き下がれサタン!と言われたり、
主イエスが十字架を前にして、ゲッセマネで祈っておられるとき...
マルコ伝では、14章37節に「シモン。眠っているのか。
1時間でも目をさましていることができなかったのか。」
この時は、旧い名で、呼びかけておられます。
わざわざこのとき主イエスは、
シモンと言われたのです。

☆又、ルカの22章31節には、
「シモン、シモン、見なさい。
サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って
聞き届けられました。」
昔の名前が2回も出ています。

ルカの24章34節には、復活の主が「シモンにお姿を現わされた」と
記されています。

☆ヨハネ伝の18章25節は、シモン・ペテロと書かれています。
昔の名前と、主イエスからつけられた名前が一緒に出ています。

ペテロの名前を研究するのも非常におもしろい聖書研究ができそうです。

人を神がどんな風に成長させて下さるのか。
神の御忍耐の御手は、私たち一人一人にも当てはまる事です。
主の愛の中で育てられる私たちは、幸せな者ですね。

私たちの信仰の告白であり、宣言であることば、
「あなたこそ、生ける神の子、キリストです。」
このみことばを読むたびに、聖霊の力に満たされます。

きょうは、イザヤ書の62章2節の後半のみことばでしめくくりましょう。

「主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。」

神が呼んでくださる新しい
名前の実質が現れてきますように...
ハレルヤ!主よ、感謝します。


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<What's Your Name?>
〜マタイ16章〜