ビブリ・カル子の
「OH!! ビブリカルDAY〜♪」
ピリポ・カイザリヤのお話しから、6日たっています。

この箇所は、変貌山のところです。
この3人を連れて行かれています。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネは、この時のことは、一生忘れられない思い出となったでしょうね!
この山はヘルモン山と言われています。
賛美歌に、このヘルモン山を歌った美しい賛美歌があります。御存知?!

さて、2節をみると、
『そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように
白くなった。』

と書かれています。

高い山に行かれ、祈るべき事を祈ったら、
主イエスの御姿が変わった、ということが記されています。
そして、その時に、モーセとエリヤが現れています。
モーセは
律法の代表者であり、エリヤは預言の代表です。
この時、主イエスは、御自分の“十字架の死”のための祈りをされているのです。
まさに、その祈りを終えたそのときに、
律法と預言の成就の型を、ここで私たちは見ること
ができます。
多くのメッセージがあるでしょう。
神はあらゆるところから、助けと確認を与えてくださるのです。

私たちも祈るべきことを祈り終えますと、「我が心定まれり」と心が決まると、はっきりとして
くるものがあります。
見なければばらないものが、はっきり見え、聞かなければならないものが、はっきり聞こえ
てきます。
ポイントは、祈りきる、という事でしょう。
そして、「
すでに得たりと信ずる」という領域に入らせていただく事だと思います。

4節のペテロの言動と行動は、ペテロという人を現しますが、私たちも、彼の気持ちを
察することができますよね。
その場の雰囲気で、何か言わねば、と思い、トンチンカンを言ってしまったのです。
彼は..... この時は、「引き下がれ、サタン!」とは言われてないでしょう。
主イエスも、その時の、このペテロの気持ちを察してくださっていると思います。

そのときに、あの素晴らしいおことばが天から語られるのです。
5節
『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ、彼の言うことを聞きなさい。』
何度、読んでも、このみことばは嬉しいですね。

9節は、弟子たる者に、口を聖別すること、
語らずにおくこと語るべき事においての、
忠実さを、テストされるわけです。
伝道の書にも
『語るに時あり、語らざるに時あり』と書かれています。
むずかしいんですよね、これが.....

さて、その
お弟子たち!!悪霊追い出しが、できずに困っている状況が書かれています。
山から降りてこられると、まさに、こんなことです。
まるで、出エジプトのモーセを思い出しますね。

19節、おもしろいと思いませんか?!
『そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い
出せなかったのですか。」』


そっと、
主イエスの側に来てるんですね。(人に聞こえない程にソ〜っと聞くんですよ。
まるで夜、主イエスのところにきた、ニコデモの様じゃないですか?!イヤですね!
堂々と聞かないところに問題があります。
そう思いませんか?
自分の力が足りないんだから、コソコソ聞くのが間違っているわけです。
側にいて、見ている方が恥ずかしい。

☆「弟子だ!」というだけでは、追い出せないんですネェ.....
こわい事実です。そして、これは、事実なのです。
神の前での生活..... これがイザというときに力を出すわけですね。
ブルブル.....ブルブル
神をあなどってはいけません。

祈りと断食.....日々の信仰生活です。
今京都グローリーチャーチでは、一週間のうち、必ず誰かが、祈りと断食をしています。
ただの絶食にならない様にと、みな、一致してこの祈りに入っています。
素晴らしい教会に主が育ててくださっていると感謝です。
霊的なフットワークです。

鍛えられたしなやかさと柔軟さをもって、
神の前に祈る者でありたい、と望んでいます。
悪霊は、
私たちの日常をよく知っていますから.....
悪霊を追い出し、病をいやす、祈りをしていきたいですね。
毎日の主の前での信仰生活がさらに祝福され、
多くの人たちに、この祝福が流されますように!!

そのために、私たち一人一人が用いていただける者となります様に、
今週も祈って前進しましょう。
何とかして、一人でも、主のみもとにおつれさせていただきましょう。
祈るべきことを、
聖霊様の助けによって、祈り切る一週間となりますように。

アーメン
ハレルヤ!主よ、感謝します。


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<祈りと断食>
〜マタイ17章〜