ビブリ・カル子の
「OH!! ビブリカルDAY〜♪」
きょうは、18章をみてみましょう。

1節に、弟子たちが、イエスさまのところにきて、
「天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか?!」と聞いています。
注目すべき質問ですヨ。サラ〜ッと読み流さない様に。

こんな事ばかり考えてたから、聞くのですよ。
だれが一番えらいのか。
これが弟子たちの大関心事だったのです。
腹にあるから口から出たのです。

人は外側を見、神はその者の心を見給う(Tサムエル16:7)

この人こそ1番にふさわしい、立派な人だ、非の打ちどころがない!
と、人間が見ても、神はそれを良し!とされない.....
ダビデの時もそうだったでしょう?

☆私に、御自分のクリスチャンネームを下さった女性の老牧師は言われました。
「男というものは地位、名誉が欲しくて、欲しくてねェ、
牧師にもそういう者がいるから、よく気をつけるんだよ!」
と.....よく教えて下さいました。
男性というのは、だれが一番えらいのか、
自分のポジションはどのへんか、どのあたりか、と
必死になって、血まなこになって、のぼって行きたい人が多い、というのです。
フム、フム、かわいそうに.....ネェ。
しかし、
イエスさまはどうでしたか?
一番えらい人になりましたか?
地位、名誉を求められましたか?

天国で一番えらい人とは、どんな人ですか?と聞いた弟子に、
小さい“子供”を真中に立たせられたでしょう。
彼らにしたら、
「エッ?!」という事なのです。
関西弁で言うと、「何でやの?」「どういうこっちゃ?!」
京都弁で言うと、「いや、どういうことえ?」
(京都弁は、マダム・アビガイルさんの講座へ)
ということで、心の中はさぞかし
おどろき充満だったでしょうね。
ハ!ハ! ハレルヤ!!
弟子たちの困惑した顔.....想像できますか?

しかも、イエスさまは、
『まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたも
悔い改めて子供たちのようにならない限り
決して天の御国には、はいれません』”
と言われています。
もう弟子たちの心を見抜いておられるのですョ。ハレルヤ!イエスさま!!

ポイント1 
悔い改め
ポイント2 
子供のようになる

天の御国に入るためには、そんな心でなくて、悔い改めて、子供のようになるんだ!!
ということなのです。

18:8〜9はきびしいおことばです。
極端とも思われるおことばです。

なぜか?
天の御国に入る、ということは、それほど真剣なのです。
神の国に入るか、入らないかの問題は、これ程の大問題なのです。

私は以前、友人の韓国の女性が子供を教育するとき、
息子、娘さんが悪いことをしたとき、たたみにナイフをつきたてて、
「その手を切ろうか」、
「その足を切ろうか」
と言って、このみことばを読んで、しかるんだ、
という事を聞いて、こわ〜〜!!と思った記憶があります。
さすがに、韓国の女性のパワーというか、何というか.....
すさまじいものですね。あなた、できます?

自分の子供を、天の御国に入れるために、この
オモニ(母)は、真剣だったのです。
ゲヘナには、行かせられないのですから.....。

私の先生も今は天の御国ですが、昔、
「本当にこのみことば通り、手、足を切断した人もいる」と
言っておられました。

しかし、イエスさまの言っておられるのは、その外側の問題では無いのです。
なのです。
もう一度言います。
人は外側を見、神はその者の心を見給う。(Tサムエル16:7)

悔い改めというのは、それ程、真剣な、激しい、はっきりとした事柄なのです。
どんなに捨てがたく、弁解したくても、理由づけしたくても、
断固として絶縁しないといけないのです。
そして、神の前に祈りに祈るのです。
取ってください、と.....。

神の国の教えというのは、子供たちに教えていく前に、
まず私たちが、主イエス御自身から教えられ、そして人に流せるものなのですね。
借り物のことばではなくて、そしゃくして、
血の中に流れて
体験したことばを語りたいものです。

18:12からは、
イエスさまの愛が流れ出すところです。
そして、私たちの祈りが、きかれ、
2人、3人で祈る祝福が書かれています。
感謝ですね。

しかし、7度を70倍するまで赦せ!と書かれてあります。
無限に.....という意味です。
神様に助けていただかないと、だれ一人、このことはできません。
人間にはできないのです。
神の愛、あわれみによって心打たれ、主の十字架の意味を日々教えられ、
イエスの生命で生かされ続ける中で、教えられていくのでしょう。

34節の
獄吏とは、サタンの事.....
借金を全部返すとは、十字架を信じることです。
イエスの十字架は、私の、あなたの債務証書を無効にしてくださったことが書かれ、
約束されているのです。
テッタレスタイ(完了した)、の恵みなのです。
35節の
赦す、という文字を学んでください。
許すと意味が違うのですヨ。

神の前に多く赦されたもの
多く愛されている事を、共に証し、今週も進みましょう。

天の御国に入る私たちは幸せな者(マカリオイ)。

ハレルヤ!主よ、感謝します。

<1番はダレ?>
〜マタイ18章〜