ビブリ・カル子の
「OH!! ビブリカルDAY〜♪」
マタイ伝19章.....16節からみてみましょう。

この富める青年の聖画を見た人も多いことでしょう。
この青年が、主イエスに、

「先生。永遠のいのちを得るためには、
どんな良いことをしたらよいのでしょうか。

19:16で聞いていますね。

どんな良いことを
すればいいのか、という言葉の裏には、
自分は良いことができる、という気持ちの現れです。

そして、そのことについて主イエスが十戒から答えられます。
すると、この青年は、20節に書かれてある通り、
そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。
と聞きなおしています。

フ〜ッ!!ハァ〜ッ!!と私なんか、ため息が出ます。
だってみなさん、主イエスに、
それらは、みな守っています。
と言えるだけの青年、言えるだけの人って、そうそういるもんではございません!!
私はマダ見たことはありません。あなたは?
私なんか、すごいな!!と思います。この告白、信仰的に一度言ってみたいものです...。

しかし主イエスは、何と言われたか?

あなたの持ち物を売り払って貧しい人に与えなさい。
そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。
そのうえで、わたしについて来なさい。」
と言われてます。

また、ちがう聖書の訳をみると、
「もしあなたが完全になりたいなら、
すなわち、自己犠牲的品性を伴う、霊的成熟を得たいならば、
行ってあなたの所有するものを売り、貧しい者に与えなさい。
そうすれば、あなたは、天に富を得る。
それから来て、私の弟子になりなさい。私の仲間に入って、私に従いなさい。」

と訳されています。

要するに、この富める青年は、
これも守ってる、アレも守ってる、という
道徳的にパス する人だったのですが、
自分の財産を全て
捨てる ということ、
そのテスト、そのハードルは、越えられなかったのです。

時々、聖書は好きで、イエスキリストも好き、教会で賛美するのも好き、
でも、いざ洗礼、キリスト者になる、というところにくると、暗い顔になる方に、お会いします。
やはり.....
捨てられない のです。

ある方には、先祖の仏壇、
ある方には、人間の和、ある方には、キリストオンリーでは進めない.....
と自分の考えが、自分の計画がやはり
捨てられない のです。
また、ある方は、自分がかわいくて自分.....自我が
捨てられない 人もいます.....。
そして、この青年と同じように、悲しんで去っていくのです。
多くの人が去っていくんだと思います。
イエス様の側から.....自分のものを
捨てられなくて.....

☆神の国に入るためには、
自分の無力さを知り得る者でなければ、
おさな子のようでなければ神の国は入れないのですね。

捨てるものが無くて良かった!良かった!と思ってるア・ナ・タ
捨てないといけないもの(ゴミ)は、知らない間にたまるんですヨ!!
気をつけましょ!気をつけましょ!

アッ!ソウ、ソウ、ゴミで思い出しました。
コレは、私の神学生時代に教えられたことですが....

ゴミ (私達の心の中の)は、ゴミ箱に捨てましょうネ。
その辺に散乱しては、いけませんヨ。
そして、必ずゴミ出し日にゴミ袋に入れてネ。

☆ゴミを出す日時と時間は、厳守しましょう。
イエスさまぁ〜!!と叫んで祈って、心の中を主に
いつもきれいにしていただきましょう。

さてさて、この富める青年が立ち去ったあとです。
すぐにペテロが19:27

ご覧ください。私たちは、
何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。
私たちは何がいただけるでしょうか。」

と言うのです。

このあたりが、ペテロですね!!しかし、彼は実にユニークで愛すべき人ですよネ。
おもしろい人です。そのまんま、
率直 です。ハイ!

又、これにつづく、有名なみことば、別訳では、
「そして私の名のために、家、または兄弟、または姉妹、または父、または母、または
子供たち、または土地を捨てた者は、だれでも、みなことごとく、その幾倍も多く、
100倍も受け、また、永遠のいのちを相続するのである。」

と訳されています。

※ここで注目すべきことは、いずれも捨てる方.....家、または兄弟、または姉妹、または父、
または母、または子、または土地、全て単数の形で書かれていますね。
しかし受ける方では、
複数の幾倍、100倍 を受ける、と主の約束なのです。
神の恵みの大きさをここからでも語れます。
福音のために、一人の母を捨てるなら、主から多くの母を与えられる、ということです。
これが聖書の原則 であり、メッセージなのです。

マルコ伝を読みますと、10章29節、30節、31節です。
ゼヒ、聖書を開いてお読みください。
何と書いてありますか。

ただ単に100倍を受けるというのでなくて、
「迫害の中で」と書かれていますよ!
迫害...試練...の中で...火の中を通って
塩で味付け られて、涙の祈りの中で、
腐らない ものとして.....
100倍を神からいただく、というのです。
あぁ、すばらしきおことばですね。
真実の約束です。なぐさめのみことばです。

神は、全知全能ですから、私たちのものが欲しいのではありません。
以前、若かりし頃、教えられましたよ。
「神さまは、乞食じゃないんだ!!
アレが欲しい!コレが欲しい!という神じゃない。
私たちの心を見られるんだ!」と.....

アーメンです。その通りです。
キリストのために、福音のために生きていきますと、
捨てざるを得なくなる のです。
又、捨てられることもあるのです。

しかし、私たちが、気をつけなければいけないのは、
主よ、私は、これを捨てましたヨォ〜
アレも捨てましたヨォ〜
ネッ、捨てたでしょ。捨てましたでしょ?!
という態度...
これは、捨てておりませんの!!


主が言われます。
「ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」と。
主は心を見て、答えてくださいます。
まことに善き師であられます。

ハレルヤ!主よ、感謝します。

<捨てるコト>
〜マタイ19章〜
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