ビブリ・カル子の
「OH!! ビブリカルDAY〜♪」
22章14節のおことば。
『招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。』

重いおことばですね。
教会に、多くの人が入ってくるのですが、さあイザ信仰告白!となると、
1人、2人、教会から去って行く場合があります。

イエス様の側から、離れる人がいるのは悲しい現実です。

又反対に、
選ばれた 、ということについての重さを感じるおことばのひとつですね。


この22章というのは、
パリサイ人達、ヘロデ党の者達、サドカイ人達.....
すなわち、イエスの言葉じりをとらえて、何とかして、どうにかして、
滅ぼしてやろう!!
と思っている人達が、考えて、考えあぐねて、主イエスに質問しています。

15節と16節に注目!!
パリサイ派とヘロデ党の中から数名の者を選び出して、イエスを言葉のワナにかけようと
しているのがわかるでしょう?

卑怯な人間の考えは、
全て卑怯 なんです。そして、悪い霊性は、これ又、悪い霊性の者
同志が集まる
のですねぇ。ああ、おそろしい、いやらしい.....
サタンの性質のひとつです。

当時のユダヤは、ローマの属国でしたから、ユダヤ国民の中でも、パリサイ派と
ヘロデ党とは、このローマ支配に対する政治的態度を異にしていたにもかかわらず、
主イエスを落とし入れるために、この時は
手を組んでいる のです。



パリサイ派は、国粋派で、その中でも極端な一派は、政治的独立さえ計る程。
ですから、ローマ支配に対しては、冷淡な態度であったわけです。
ですから、ローマ皇帝に税金を払うことは、決して快く思ってなかったのです。

これに対して、
ヘロデ党は、親ローマ派だったわけ。
ローマ支配に服従することによって、ローマの恩恵を受け、ユダヤ国内においての
自分達の立場、物質的繁栄を得ようとしていたわけです。
ですから、ローマに税金を納めることは賛成の立場をとる人達だったのです。

もし主イエスが、税をおさめるのが良い、と言われたら、
パリサイ派が、主イエスを非難し、
非愛国者として、民衆の前にレッテルをはってやろう!!

又、税を納めるのは、良くない、と言われたら、
ヘロデ党の者が、反政治、反逆者として、
ローマ政府につき出してやろう!!と、どちらにしても、
主イエスを滅ぼそう として、
たくらんだのです。

そのサタン的な陰謀に対して、主イエスは、
『カイザルの物は、カイザルに、神の物は神に返せ』と言われました。

まさしく
圧倒的な勝利 なのです。



22節を読むと、
『彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。』
と書かれています。

サタンは
退いて行った のです。
思い出しませんか?みなさん、マタイ伝4章11節!!

『すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。』
・・・・この場面ですよ・・・・

私たちは、
常に神を第一にし、第一に考えて おりますと、意地の悪い質問を受けたときも、
自分でも胸のすくような、神の知恵に満たされた回答をすることができるのです。
神の知恵に満たされるように、日々祈りましょう!!

そして、いつも心が、神のことでいっぱいの状態、聖霊充満であるように祈り続けたいですネ。



すると今度は、又、違うサタン的な質問が主イエスに浴びせられます。

私たちもまったく同じです。サタンは、手を変え、品を変え、私たちを責めます。

23節から見てみましょう。
今度は、
サドカイ派が出てきています。彼らは、復活を信じない人々なのです。

サドカイ派というのは、ソロモン王の時に、祭司長に任じられたツァドクの系統を引いた
祭司の家柄を中心にした派なのです.....フムフム、分かるでしょう?!
「私は、この血統の者」というにおいプンプンなわけですヨ。

彼らの宗教的立場は、ユダヤ教の中でも、最旧派。
モーセの五書、殊にその古い部分を重んじ、政治的には、現実肯定の妥協主義。
ローマ軍が、政治治安を維持してくれ、かつ、神殿礼拝の続行を認めてくれて、
宮に奉納されるお金で、自分達の経済が安定してさえいれば、それで彼らは、
満足、ハッピーなわけ。

神学的には、旧派で(保守的)
社会的には、現実主義
そして復活がない、と言う
サドカイ派

日本の戦時下の時にも、教会の中に、神道の神棚がおかれたり、天皇陛下の写真が
飾られたり.....

歴史は、いつもくり返すものかも知れませんが.....
サドカイ派より、パリサイ人たちの方が、私は、自分なりに理解できる。」
と言うクリスチャンが多いのも、うなづけるでしょう?!

この保守的
サドカイ派に対する改革派がパリサイ派
彼らは、神殿礼拝よりも、律法厳守を重んじ、政治的には、ローマ支配に対する
妥協的態度を認めなかった。
祭司派サドカイ人 VS 学者派パリサイ人 という図式になるわけです。

このサドカイ人達の質問に対して、主イエスが、29節に
『そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。』と答えられた。

ですから、34節のおことばが理解できるでしょ。

『しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、
いっしょに集まった。』


22章の、主イエスに対するそれぞれの質問は、お互いの立場の異なる者同志の論争が
伏せられており、このイエスが何と答えるか、という
試み の意図が現れているのです。

まさしく、腹にあることが、口から出ているのです。



そして、主イエスは、一番大切ないましめを教えて下さっています。

37節、
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

そして、41節、今度は反対に、パリサイ人に主イエスが、質問されています。
そして、その結果、46節、
『それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、
もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。』


全身全霊で神に仕え、神を愛する時、サタンは、私たちから離れ去ります。


今週も、主を愛し、主にお従いして前進しましょう。


                          

<神のものは神に、カイザルのものはカイザルに返しなさい>
〜マタイ22章〜
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