ビブリ・カル子の
「OH!! ビブリカルDAY〜♪」
○○子さんも、○○さんもお元気でしょうか。
さてきょうは、マタイ伝3章から少しお話しします。
この3章をとにかく、ゆっくり注意深く読みましょう。
私はポイントを 
”声” にしぼって語りたいと思います。

まず3章3節に、
『荒野で叫ぶ者のがする』と書かれていますね。
また17節には、
『また天から、こう告げるが聞こえた。・・・』

はじめは、バプテスマのヨハネの声です。
大声で叫んでいる人の声のことです。
いなごと野みつを食べている人の声ですヨ。
神の言葉をまっすぐにとき明かす。
人の顔色をうかがい見る事のない人の声です。
このヨハネは、パリサイ人、サドカイ人に対して、『まむしの末たち』
なんてことばを使って、悔い改めをすすめていますね。
このバプテスマのヨハネは、☆4つの福音書全部に登場しています。
(ここは押さえておくこと)
            
・・・・・・・・・・・・・・・荒野で呼ばわる者のとして・・・・・・・・・・・・・・・
澄みわたった大きな声の人だったのではないでしょうか。
気持ちの良い、朗々としたを持っていた人なのでしょう。
マイクなしで荒野で叫ぶ、バプテスマのヨハネの心・・・・・
厳しいメッセージをしています。
しかし人々がどんどん救われているのです。
リヴァィヴァルの前には、やはり罪の悔い改めは必須ですね。
アーメン?! アーメン!! ハレルヤ!!


そしてイエスキリストが、バプテスマのヨハネから洗礼をお受けになる
場面・・・
『神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧に
なった。』(マタイの福音書3章16節)


私の読んだ本の中に、こういう一節がありました。
タルムッドによれば、(タルムッドとは、ユダヤ人の旧約聖書註解書)
「創世記1章2節に、神の霊は水の上を動いていた。」
と書かれているところの説明は、ハトがつばさを広げてヒナをおおうように、
と言っているとの事。
つまり、このマタイ伝の3章16節の表現は、聖霊の保護と愛を象徴した
ユダヤ的表現・・・ここにも『ユダヤ人をターゲットに書かれているマタイ伝』
というのが、色濃く出てますネ・・・。


そして、天からのがするわけです。
『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ』
と。このみ声を聞かれたのち、悪霊の試みを受けられ、4章に入るわけです。

私たちはやはり、何事においてもスタートに、み声を聞かねばなりません。
そうでないと、いつでもサタンのワナに落ち、思うツボにはまるのです。
私たちにとってもサタンの試みは、何でしょう。
ある人には、 「私が神の子?」 「私がクリスチャン?」 「私が祝福される?」
 「私がいやされる?」  「私が許される?」  「私が祈ってきかれる?」
 いっぱい出てくるかも知れませんが・・・。
いったんイエスキリストを信じた者は誰が何と言っても神の子なのです!
祝福されるのです!祈りはきかれるのです!いやされるのです!
許されるのです!
        信じる人は、「アーメン!!」と言いましょう。


マタイの福音書3章の16節からのこれ以後のイエスさまは、聖霊に導かれる
御生涯です。
私達もイエスを信じバプテスマを受け、聖霊に導かれて進みましょう!!
ある時は、人生の荒野で神のみ声をきき、人生の再出発で
また神の声をきく・・・・・
神は愛なり、神は愛なり、どこまでいっても神は愛なり・・・

私たちの神は、語って下さる神です。
生活の細部にもわたり、語って下さるのです。
神のみ声に、ききお従いしましょう。
洗礼を受ける事は恵みですよ、○○さん!!
迷っていないで、信仰の一歩をさぁ!!踏み出しましょう。ハレルヤ


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