ビブリ・カル子の
「OH!! ビブリカルDAY〜♪」
きょうは、8章から、神の御恩寵の中にひたりましょう。
(7章は、最初の『狭き門』で書いたので...)

まず3節...
主イエスは、らい病患者の人に
手をのばしてさわっておられます。
そして、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われました。
この場合のきよくなれ...とは、癒されよ、の意味です。

うみで汚れていたり、
壊死(えし)して、腐っている患部に、あなたは手を伸ばして、
いつくしみの思いでさわって、「私の心は、あなたがいやされる事です。」と祈れますか?
ビブリカル子はどうかなぁ...

臭気ただよう患部です。
人間の一部が腐り、壊死すると、すぐにハエが飛んでくるのを知っていますか?

☆私は“いやし”について聖書から学ぶとき、キリストの大きないつくしみ、あわれみを
感じずにはおれません。
☆キリストの愛のほとばしり出る処に、真のいやしがあるのでしょう。




百人隊長のことばをみてみましょう。
8節...
ただ、おことばを下さい、と言っています。

どんな時でも、私たちに必要なのは、
神のおことばなのです。
神のおことばさえしっかり握っていれば、もう勝利なのです。
ただ、ここでの大切なことは、
おことばを、むなしいものと考えるか、
おことばを、アーメン!と捉えるかで、全く神の現れが違うのです。
おことばは、キリストですから(ヨハネ伝1章)、それをそのまま心で信じる信仰を
持っているか、持っていないか。

☆人が語ったことばではなく、真実の神のおことば、『光よあれ』と言われたら、光が
できる力ある神のおことばを握る人は幸せです。

おことばを下さい、と言った百人隊長に、主イエスは『あなたの信じた通りになるように』
と言われています。そして、その時に、そのしもべは、いやされています。
おことばを信じる信仰に、神の栄光が現れるんです。アーメン!!




16節に『イエスはみことばをもって霊どもを追い出し...』
ここでまた、
みことばが出ていますね。
神のみことばの前に、立ちおおせる者はいないのです。

私たちは、神のみことばにより頼み、信じ、そして従うのです。
何と幸いな者でしょう。
この神のみことばが私たちの生命の源泉なのです。
神の口から出る
おことばです。

☆26節に
『なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ』
と書かれています。
これは、原文によると、信仰が小さいという意味です。

私たちが不信仰になるときは、おことばに対する信仰が揺らいでいるときです。
神のおことばより、人間の語る言葉が自分の心を支配しているときに、人生において
大暴風雨が吹くのです。

♪いと静けき、港につき、我は今安ろう
救い主、イエスの手にある、身はいとも安し....♪

☆おことばが来たら、絶対離してはいけません。
大損しますよ!
イエス様、イエス様、と御名を呼び続けて、おことばを握りましょう。
神は語ってくださるのですから。
そして、その語られた通りになります。

『我は全能の主なり』

今週も、全能の主のおことばを握って進みましょう。




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<神のおことば>