episode#49 「 これどうぞ!」
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夜勤でこれから仕事に出かける前のことでした。
みくには、「これみくにが作ったの。会社にもっていって!フォークも入れといた。」と、
自分が以前もらった空のきれいなお菓子箱に、色とりどりの積み木や、おままごとセットの
料理をいれて、お弁当を渡してくれました。「ありがとう、みくに。」

いつも、みくにはおままごとでいろんなものを作っては皿に載せ、持ってきてくれます。
でも、この時はいつもと違いました。「お父さん、これももっていって。」
みくには、「じゃがりこ」も渡してくれました。
これは彼女の大好きなお菓子の一つでした。
「これをお父さんがもらっちゃうと、みくにの分なくなっちゃうよ、それでもいいの?」
「うん、いいの。もっていって!」 

数ヶ月前から、みくには「これみくちゃんの!!」と言って、自分のものを友達に貸せなかったり、
妹の愛咲(いさく)みくにのおもちゃで遊んでいても、急に取り上げたりして随分叱られてきました。
(とうとう自我が芽生えてきてしまった。。。)と、これから自分だけではなく、みくにの自我とも
格闘していくことになるんだな、とつくづくと思わされていました。

そういうわけで、この時のみくにの気持ちはとても嬉しいものでした。
(いつまでもこのような人のことを考えられる優しい人間であって欲しいな。)
と思いました。

でも、これから幼稚園に入り、小学校に上がり、中学校・・・と、教会の交わりの中だけではない、
もっと広い厳しく、冷たい海原へ出ていく内に、いつしか冷たく、自分勝手で、非情な人間になって
いくこともあるのかもしれない。だからと言っていつまでも春うららな温室の中だけにみくに
閉じ込めておくわけにもいかない。。。

何もかも満ち足りた平安で幸福な中で、人に優しくすることがたやすい環境の中で、
優しくしてあげたい人に優しくしてあげる。。。それは“本物”の優しさではないのかもしれない。
本当にいろいろな過酷な状況が許される中で、自己中心にならず、保身に回らず、
敢えて「優しくする」ことを自分の意思で選び取っていけるならば、
それこそが“本物”の優しさなのではと思わされます。

神様が、今サタンの存在を許しておられるのも、そういう意味があるのかな、と思います。
僕自身、「愛が冷えていく」この時代にこの世に生かされている今、ひたすらに主に依り頼み、
ただただ聖霊様の力によって人を真に愛することを選び取っていけるように!
そう思わされます。


(サムエル)

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約束の子
children of promise

「おとうさん、これどうぞ!」