細川藩の殉教者たちの足跡
(第6回)
加賀山隼人D
細川忠興は、最も愛した家来である隼人を失いたくはなかったので、自ら何度もイエス・キリストを信じる信仰を捨てるように、隼人に堅く命じました。隼人は、6千石を捨てるか、信仰を捨てるか二つに一つを選ぶように迫られた時も、心ははっきりと定まっており、前の主君であり、クリスチャンの先輩でもある高山右近がそうしたように、イエス様のためにこの世の全てを捨て、天に宝を積むことを選びました。最後まで主君である忠興に忠節を尽くしつつも、その信仰については一歩たりとも譲ることはしませんでした。
隼人は、長年の間、自分の大敵の為に、毎日一定の祈りをしてきました。この祈りを持って隼人は、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、もろもろの悪霊に対し立ち向かい、対抗し続け、圧倒的な勝利者となることができたのでした。
1619年、ついに忠興は、何をしても、この隼人からイエス・キリストを信じる信仰を奪い去ることはできないと分かると、使いをもって隼人の死刑を宣告しました。その使いは、殿(忠興)が隼人の首をはねよ、と命じたのは、ただ隼人のキリスト教信仰のためだけである、と伝えました。隼人は少しも動じることなく、むしろイエス様のためにこうして死ぬことは、心から願っていたことであり、殿(忠興)に厚く感謝すべきことである旨を、その使いに伝えました。
そうして隼人は、家も財産も没収され、高い地位にあった職も奪われ、殿(忠興)の命に従わなかった者として、全てを失い、一軒の田舎家に家族もろとも閉じ込められました。
“ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。 −彼はいつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。”ダニエル6:10
“私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。〜しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。”ローマ8:35,37
(文責)サムエル鳥谷部