キリシタンの足跡

 

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   <殉教者26聖人発祥の地>

 1593年 ペトロ・バブチスタ神父ら
4名のフランシスコ会士が日本に派遣
されました。
キリスト教禁令下であったが、豊臣秀
吉より京都の妙満寺跡の広大な土地
を与えられた神父たちは、聖堂と修道
院、2つの病院を開設し布教をはじめた。
 200名以上のキリシタンが移り住み、
都の人はここを「だいうす町」と呼び、
キリシタン達は「諸天使の元后の町」
ロス・アンジェルスと呼んでいた。

 

しかし1596年、秀吉により大阪のキリシタン
捕縛が命ぜられ、12月9日レオ烏丸ら5名を、
1597年1月2日未明バプチスタ神父以下12
名が捕らえられました。
 この日より長崎、西坂の丘での殉教の旅が
始まりました。
病院跡とおもわれる所が現在も病院であるの
が、時代は変わっても神様の計画は変わらな
い1つの示しのようです。

〜フランシスコの家 (キリシタン灯篭)〜

        

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