中浦ジュリアンの足跡
(第11回)
その頃ローマでは、ヴァリニャーノの「目立たぬよう私的に」という意向をよそに、教皇と枢機卿たちは、ジュリアン達一行を、できる限りの盛大な儀式をもって、公式な形でお迎えすることを決定しました。
ところが、ローマまであと2日の道のり、という所でジュリアンは高熱に倒れてしまいました。熱にうなされながらの大変苦しい移動となりましたが、皆の祈りに支えられ、また、「ローマに行きたい」、という切なる願いが彼を奮い立たせました。
こうして、1585年3月22日、ジュリアン達は、ついにローマに到着しました。長崎を出発してから、3年と1ヶ月という長い長い旅路でした。
トランペットが高らかに鳴り響く中を、パレードのような形で彼らは迎えられました。沿道には沢山の人・人・人・・・。彼らはやっとのことで、まずイエズス会の本部に辿り着きました。アックアビバ総長をはじめイエズス会士が総出で迎えてくれました。アックアビバ総長は、ジュリアン達を幾度も抱きしめ、無事の到着を喜びました。そして、ここまで無事に導いてくださった神様に、感謝の祈りが捧げられました。依然高熱が出て悪寒で全身を震わせていたジュリアンも祭壇の前にひざまずきました。かたわらの神父たちが心配して、いすに座るようにすすめましたが、彼はそれを断りただただ主に感謝しました。ジュリアンは、主への感謝と感動で一杯になり涙があふれて止まりませんでした。
その翌日の3月23日、いよいよ教皇、グレゴリオ13世に謁見する日がやってきました。
しかし、ジュリアンの容態はさらに悪化しており、医者からは絶対安静を言い渡されました。彼は容態を気遣う神父たちを振り切り、日本の着物を着て身だしなみを整えだしました。ジュリアンは高熱でふらつきながらも、ローマに行きたいという思いがジュリアンを力づけました。この時、彼は熱病であるマラリアにかかっていたのでした。
ローマへ行きたいという願いを持ったジュリアンの信仰。ローマへ行く道で信仰を強められたジュリアン一行。現代のクリスチャンである私たちは、地上のローマではなく、天のエルサレムを目指して歩みたいものです。
(文責)サムエル鳥谷部