中浦ジュリアンの足跡

(第12回)



 ジュリアンは、絶対安静を言い渡され、とてもとても行進できる様態ではありませんでした。それでも何度か馬に乗ろうとして力尽きたジュリアンを見て、一人の男性が、彼を自分の馬車に乗せ、一行より先にバチカン宮殿へジュリアンを連れていきました。教皇グレゴリオ13世もジュリアンと会うことを喜んで特別に許してくれました。

 高熱で体を震わせながらもジュリアンは、教皇の前に進み出、その足に口づけをしてあいさつをしました。すると、84歳の老教皇はジュリアンの肩を抱き、優しく抱擁してくれました。ジュリアンはこうして特別に教皇と会う時間を与えられたのでした。彼は感激の涙を流しながらバチカン宮殿を後にし、そのままイエズス会の宿舎に運ばれ療養を強いられました。

 その後、公式の形でマンショ達一行が教皇への謁見を行いました。ローマ中の人が集まる中、バチカン宮殿への、2キロにもわたる行列をなして、バチカン宮殿に進んでいきました。その時の様子は「ローマでは未曾有の、最大行事の一つ」であったと言われています。

 この地の果てからやって来たクリスチャンの少年たちを見て、老教皇は、心から感動して涙を流し、神様を賛美しました。その際、教皇は次の聖書の御言葉をもって神様に感謝した、と伝えられています。

 “主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。”ルカ2:29-30

 全てを献げて神様にお従いしているイエズス会の一人の若者を通し、世界の果てである、この日本の地にまで福音が伝わり、イエス・キリストを信じる者たちが起こされている事実を目の当たりにして、教皇は本当に嬉しかったのではないのでしょうか。ヨーロッパのキリスト教国はこの「天正使節団」を大々的に報道しました。日本という国を世界が認めた瞬間でした。

 公式の謁見が終わった後も、教皇は彼らが本当に可愛かったようで、何度も何度も彼らを自分のもとへ招いてくれました。特にジュリアンに対しては、教皇は大変心配され、自らが指図をして、ローマ中の名医たちを集めて彼の治療にあたらせました。

 彼らと最後に引見した1週間後、教皇グレゴリオ13世は天に召されました。
 
 ここローマで得た神様からの恵みが、これからのジュリアンの絶大な宣教の力となりました。私たちも、神様からいただいた溢れるばかりの恵みを何一つ忘れず、この素晴らしい神様に真実に仕え、宣教する者になりたいものです。

(文責)サムエル鳥谷部



参考文献

 「天正少年使節〜ローマへ行った少年たち」 結城了悟責任監修、鈴木正節シナリオ
 「西海の聖者〜小説・中浦ジュリアン」 濱口賢治著
 「キリシタン地図を歩く(殉教者の横顔)」 日本188殉教者列福調査歴史委員会編
 「ローマへいった少年使節」 谷真介著
(グレゴリオ13世)
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