中浦ジュリアンの足跡

(第13回)



 こうしてジュリアン達一行は今回の旅で一番大きな目的を果たしました。

 彼の病も、多くの祈りに支えられてついに癒されました。

 その後ジュリアン達は、グレゴリオ13世の盛大な葬儀に参列し、また、新しい教皇として選ばれたシスト5世の戴冠式にもヨーロッパ各国から来ている使節とともに立ち合うことができました。彼らはこの新教皇にも謁見することが許され、前教皇にお願いしておいた日本の教会の援助の話しをすると、「今後20年間、いやそれ以上、永久的につづくように」と多額の援助を約束してくれました。

 絶大なる援助を受け、さらに日本における宣教の力強い働きが押し進められていく!私たちの日本もキリスト教国になる日は近い!そう確信できた瞬間だったのではないでしょうか?しかし、現実には、この年、秀吉が関白となり、日本統一を着々と押し進めていきました。その2年後には、あろうことかバテレン(宣教師)追放令を出すなど、一体誰が想像できたでしょうか?
 
 また、ジュリアンたちは、この新教皇から「騎士」の称号までいただきました。騎士とは、教会のために名誉ある行いをした人に特別に授けられるものでした。その時教皇は、ジュリアンたちに、「平和で強く、神に身をささげる忠実な戦士であれ」と声をかけられました。マンショは使節を代表し、「みずからの鮮血、生命をもって神の教えを保護することを、ここに誓います」とお礼のことばをのべました。奇しくも、ジュリアンは、この言葉の通りに、すさまじい迫害の中、自分の鮮血と命をもって、生涯日本に、聖書の神、天地の作り主、唯一の神の言葉を宣べ伝え続けることになるのでした。

 こうして、ジュリアンたちは、70日間滞在したローマを後にしました。

(文責)サムエル鳥谷部



参考文献

 「天正少年使節〜ローマへ行った少年たち」 結城了悟責任監修、鈴木正節シナリオ
 「西海の聖者〜小説・中浦ジュリアン」 濱口賢治著
 「キリシタン地図を歩く(殉教者の横顔)」 日本188殉教者列福調査歴史委員会編
 「ローマへいった少年使節」 谷真介著
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