中浦ジュリアンの足跡
(第15回)
ジュリアン達は、我が子のように彼らを心配し、その無事をとりなし祈り続けていたヴァリニャーノ神父と、3年半ぶりに再会しました。ジュリアン達も、大好きなヴァリニャーノ神父と再びこうして無事に会えたことは大きな喜びでした。彼らは、ここまでの旅の全てを守り、導いてくれた神様に心から感謝しました。ジュリアン達は、今までの数々の素晴らしい出来事をヴァリニャーノ神父に伝えました。言い尽くせない程の感動があり、学びがあり、体験がありました。ヴァリニャーノ神父は、最初自分が意図した目的をはるかに超えて素晴らしい成果をあげたことを知り、主をほめたたえました。
その頃、日本のイエズス会から、現在天下を治め日本の王を名のっている関白・秀吉に、インドの副王の使節を派遣するように要請がありました。協議のすえ、ヴァリニャーノ神父自らが、17名の宣教師を率い、ジュリアンたちとともに再び日本に行くことに決まりました。かつてヴァリニャーノ神父が会った織田信長同様、キリスト教の布教にも理解を示しているという秀吉に謁見することができれば、日本での布教にいよいよ大きな扉が開くことになります。1588年4月22日、ヴァリニャーノ神父は、ジュリアン達とともに、心躍らせてゴアから船出しました。
8月11日、ついにジュリアン達は、マカオに着きました。順調にいけば、あと20日程の航海ででなつかしの日本へ着きます。1582年の2月に長崎を発ってから、もう6年以上もの歳月が流れていたのです。早く日本に帰りたい!帰ってこのこともあのこともを伝えたい!そして、自分達もイエズス会に入って多くの人たちにこの素晴らしいイエス様のことを伝えたい!ジュリアン達の心は、夢と希望に輝いていたことでしょう。しかし、日本を目前にしたこのマカオで、日本から戻ってきていた宣教師たちから、幾つものショッキングな知らせを聞くことになるのでした。
(文責)サムエル鳥谷部