中浦ジュリアンの足跡
(第16回)
日本まであとわずかのマカオにて、ジュリアン達が聞かされたのは、数々の悲しい知らせでした。この6年もの間に、日本の状況は様変わりしていたのでした。
まず、ジュリアンがとてもお世話になり、彼の信仰が確立される大きな助けとなったキリシタン大名・大村純忠が、1587年5月25日、既に天に召されていたことを知りました。彼は、日本で最初にクリスチャンになった大名であり、自分の領内におけるキリスト教布教に尽力を注ぎ、長崎をイエズス会に寄進し、西国全体においても大きな影響力を持っていた人物でした。
また、そのわずか1ヶ月程後の6月28日、今度は豊後のキリシタン大名・大友宗麟が天に召された、というのです。
この2人は、ジュリアン達、天正少年遣欧使節を派遣した3人のキリシタン大名の内の2人でありました。日本は、十字架の旗じるしを高く掲げて戦国の世を戦い、領内のクリスチャンを擁護してきたキリストのしもべを2人も失ってしまっていたのです。
さらに驚愕の知らせが舞い込んで来ました。
なんと、ジュリアン達が長崎を出港した時、天下統一を目指していた織田信長亡き後、天下を握った豊臣秀吉が、最初はキリスト教の布教に理解を示していたにも関わらず、1587年7月、突如「伴天連(宣教師)追放令」を出した、というのです。また、彼は宣教師の入国を今後一切禁じたのでした。
祈った末、ヴァリニャーノ神父は、「正式なポルトガルのインド副王の使節」の入国を認めて欲しい、と要請状を日本行きの船に託しました。
私の信じる神様は、数々の恵みと祝福と喜びを、これほどまでに豊かに与えてくださるんですよ!私を見てください!私は神様を信じ、従い、こんな素晴らしい祝福に預かったのです!もう、ジュリアンの心はイエス・キリストを伝えたい思いで満ちあふれていました。サタンが猛威を奮い始めたあの日本において、これからどのようにしたらいいのか、ジュリアンはただ天を仰ぎ、主に祈るばかりでした。
(文責)サムエル鳥谷部