中浦ジュリアンの足跡

(第19回)



 秀吉との謁見を終え、ジュリアン達は有馬・大村両領主に正式な帰国報告をしました。

 その後ジュリアンは他の3人とともに、ヴァリニャーノ神父について天草に行きました。そこで、かねてから願っていたようにイエズス会の会員となりました。1591年7月25日のことでした。ちょうど3年前のこの日に、秀吉が「伴天連(宣教師)追放令」を出し、日本におけるキリスト教布教を初めて禁じた日でもありました。

 ジュリアンは、自分の一生を神様におささげして、生涯イエス・キリストの十字架と復活を多くの人たちにのべ伝えることを神様と人との前に誓いました。時代はいよいよ当時のクリスチャンにとって不穏なものとなってきていましたが、ジュリアンの心は既に堅く定まっていました。喜びと情熱を持って、司祭になるための1歩としてまず修練院へ入学しました。

 その命を持って、唯一の救いの道を開いてくださったイエス様。この方のためならどんな困難をも厭わない!ジュリアンの心は、復活の主の御霊に熱く燃やされ、ここからジュリアンの日本における宣教が始まるのでした。

 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。ローマ12:11〜12

(文責)サムエル鳥谷部



参考文献

 「天正少年使節〜ローマへ行った少年たち」 結城了悟責任監修、鈴木正節シナリオ
 「西海の聖者〜小説・中浦ジュリアン」 濱口賢治著
 「キリシタン地図を歩く(殉教者の横顔)」 日本188殉教者列福調査歴史委員会編
 「ローマへいった少年使節」 谷真介著
戻る
(天草)