中浦ジュリアンの足跡
(第3回)
1578年、11歳の甚吾は、大村純忠(洗礼名:ドン・バルトロメオ)の計らいにより、殿の長男である新八郎に仕えることになりました。生まれ育った中浦の地を去り、母と2人の姉妹とともに、大村の地(今の長崎県大村市)に移ることになりました。
クリスチャンである殿・大村純忠が治めるこの大村には、その当時約11万7千人の人が住んでいましたが、その半分以上にあたる6万人もの人がクリスチャンでした。至る所に教会が建てられ、キリスト教系の病院が建てられ、身分の高い者も低い者も一緒に同じ神を礼拝していました。
こうした環境の中で、甚吾のイエス・キリストに対する関心はさらに高まっていきました。
若殿・新八郎に仕えている者の1人に、原マルチノという少年がいました。彼は、大村純忠の家臣の1人、原中務(はらなかつかさ)の息子でした。幼い時に両親を亡くし、イルマン・ロレンソにより大村純忠の三城城に来るように導かれました。彼はこのロレンソを通して、幼い頃からイエス・キリストを信じていました。マルチノは甚吾の良き友となり、彼と行動をともにするようになりました。そして毎週教会に行っていたマルチノとともに、甚吾も教会に通い、さらにイエス・キリストのことを教えていただきました。
こうして、ついに甚吾は洗礼を受けました。続いて、母と2人の姉妹もロレンソの導きにより洗礼を授けられました。
彼の洗礼名は「ジュリアン」でした。小佐々甚吾は、これ以降、中浦の領主で「中浦殿」と呼ばれた父と同じく「中浦ジュリアン」と呼ばれるようになりました。
(文責)サムエル鳥谷部