中浦ジュリアンの足跡

(第8回)



 リスボンでは、ポルトガル国王を兼ねていたスペイン国王フェリペ2世の国王代理、アルベルト殿下に会いました。彼は、バイロンに「エデンの園」とうたわれた夏の避暑地、シントラにあるもう1つの宮殿へもジュリアンたちを招きました。また、リスボンでは、修道院、造船所、畜産所、商店街、競技場を見学しました。次の訪問地エボラでは、エボラ大聖堂にてミサに出席し、スペインとの国境近くにあるビラ・ビソーザでは、ポルトガルの有力貴族の1人である、ブラガンサ公爵の家へも招かれました。「日本のすべての大名たちのもっている財宝をひとつにしても、このブラガンサ家の財宝にはかなわない。」 ジュリアンたちはその絢爛豪華さにあきれるほどでした。

 それから、彼らは国境を超えスペインに入りました。トレドでも日本人を一目見たいと多くの人たちがつめかけ、まるで映画の大スターが海外からやってきた時のような人気ぶりでした。彼らはやっとのことで修道院までたどりつきました。このトレドの町は、アラブ支配から国土を回復した後、クリスチャンたちがここを首都と定めました。時のスペイン国王フェリペ2世がマドリードを首都とするまで、スペインの首都であった町でした。ジュリアンたちは、日本では見たことのない壮大華麗な建築物、水道技術、天球儀などを見てとても感動しました。しかし、ここで千々石ミゲルが天然痘にかかり重態となりました。トレドでは人口の1割に近い2000人の子供たちが天然痘で死んでいたのです。ジュリアンたちも心を合わせて神様に祈りました。「かならず少年たちを日本につれ帰ってくる」と約束したヴァリニャーノ神父の代理であるメスキータ神父もひたすらに祈りました。祈りが聞かれ、16日目についにミゲルは奇跡的な回復をしました。

 こうしてジュリアンたちは、いよいよ国王フェリペ2世に謁見を果たすため、スペインの首都マドリードへ向かいました。

(文責)サムエル鳥谷部



参考文献

 「天正少年使節〜ローマへ行った少年たち」 結城了悟責任監修、鈴木正節シナリオ
 「西海の聖者〜小説・中浦ジュリアン」 濱口賢治著
 「天正少年使節」 松田毅一著
 「キリシタン地図を歩く(殉教者の横顔)」 日本188殉教者列福調査歴史委員会編
 「ローマへいった少年使節」 谷真介著


(トレド)
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