中浦ジュリアンの足跡

(第9回)



 ジュリアンたちは首都マドリードに向かい、そこで、国王フェリペ2世に謁見しました。彼は、本国以外にイタリア、ネーデルランド、アメリカ大陸と、広大な領地を自分のものとし、「太陽の沈まぬ帝国」と言われたスペインの黄金時代を築き上げた人物でした。また、レパントの戦いにおいて、イスラム教国のオスマン=トルコを破り、キリスト教(カトリック)保護者としての名声を確立した人物でした。この王に謁見を許可されたジュリアンたちは、花鳥模様のきものとはかまを着、腰に2本の刀を差し、白いたびにぞうりをはいて緊張した面持ちで国王の前に現れました。王は、そんな彼らを優しく抱擁して歓迎してくれました。

 それから、正使のマンショが、金の蒔絵などの日本からのお土産を王に差しあげ、その後、大村純忠、有馬晴信、大友宗麟から託されたあいさつの書状を国王に奉献しました。王は、初めて見る日本人である彼らに大変興味を示され、また、日本のお土産や、着物、そして日本の言葉にも関心を持ちいろいろと質問されました。「国王はきむずかし屋ですから、あのように快活で、うちとけた気分になられるのを見るのは、とてもめずらしいことです」と言われた程に楽しい雰囲気の中、ジュリアン達は国王への謁見を無事終えました。国王は、その2日後、ジュリアンたちを完成したばかりのエル・エスコリアール宮殿に招待しました。王宮と聖堂、修道院の3つからなっている(1500の部屋を持つ!)その壮大な建造物を前に、ジュリアンたちは、ただただ言葉を失いました。

 36日間のマドリード滞在の後、ジュリアンたちはいよいよイタリアに向かって出発することになりました。その際、国王は、多くの贈り物とこれからの旅費、馬車まで用意してくださいました。そして、今後の日本の教会への援助も約束してくださったのです。「国王陛下は、日本からきた高貴な使節の少年たち一行に、できることはすべてやられた。」そんな噂がマドリードの町中に広がりました。その上、王は、これから使節が立ち寄る自国内の町では、どこでも一行を手厚くもてなすよう、とさえ命じられたのでした。

国境を越え、人種を越え、言葉を越え、身分を越えて、唯イエス・キリストを信じる者として、そして、この救い主に仕える者として、国王とジュリアン達は真に心が1つになることができました。

「盛大な公の歓迎などはていちょうに断るように」との注意事項をメスキータに手渡したヴァリニャーノの心配をよそに、こうして、ジュリアンたちはさらに破格の歓迎を受けることになるのでした。


(文責)サムエル鳥谷部



参考文献

 「天正少年使節〜ローマへ行った少年たち」 結城了悟責任監修、鈴木正節シナリオ
 「西海の聖者〜小説・中浦ジュリアン」 濱口賢治著
 「天正少年使節」 松田毅一著
 「キリシタン地図を歩く(殉教者の横顔)」 日本188殉教者列福調査歴史委員会編
 「ローマへいった少年使節」 谷真介著


(フェリペ2世)
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