2000年7月8日 この日は、私の人生&信仰生活が大きく変わった、ポイントの日です。
長年、関係が悪かった祖母を赦すことができず、憎しみからくるところの苦しみから、私を
神様が救い出してくださった解放記念日であると同時に、新しく信仰生活をおくる地が京都に
決まり、住むマンションもこの日一日で決まったという、特別な日なのです。
つまり7月8日は、信仰生活最大の節目の日であり、神様の祝福の道がスタートした日なの
です。
『あなたの神、主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地に
あなたを導き入れ、・・・・・・これらをあなたに与え、あなたが食べて満ち足りるとき、
あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された主を
忘れないようにしなさい。・・・・・・・・・』 (申命記6章10〜14節)
この御言葉は、2003年3月の家庭集会で、神様からいただいたお言葉です。
自分の力でなく、神様の恵みとあわれみによって祝福で満ち足りる時こそ、出エジプトさせて
くださった神様を忘れてはいけない、というところです。
そして同じ年の2003年11月、あんな牧師に異言を解き明かしていただいた時、
「神のあわれみを教える」と解き明かしてくださいました。
それから約一週間後の教会のディボーション箇所が上記の聖書箇所の申命記6章だったの
です。しかし神様のあわれみは、それだけではありませんでした。
翌年の2004年4月、 「子宮筋腫の人がいやされる」という預言のお言葉通り、私のお腹に
あった子宮筋腫がいやされ、なくなっていることが病院でも証明されたのです。
そして3月の私たちの結婚記念日にもたせていただいた家庭集会で、胎の実が与えられるよう
にと吉田牧師に祈っていただいたその時、あんな牧師が「10月という言葉がきます。
10月に与えられますね。」と言われたのです。
そして吉田牧師が祈ってくださった祈りと、預言のお言葉通り、
10月にみくにが与えられていることが11月に分かったのです。
神様が与えてくださったみくにの証しを私の兄夫婦に話しました。
そして今年の1月(谷川の流れ祈祷院の献堂式から3年の記念日)に義姉が、3月の
イースター礼拝に兄が受洗したのです。
2000年7月8日から、もうすぐ5年を迎えようとしています。
その記念の2005年7月8日は、なんとみくにの出産予定日なのです。
申命記6章の御言葉のように、私は神様が与えてくださった祝福に満ちたり、今は
みくにが生まれてくることばかり楽しみにしていた私は、このポイントの日とみくにの予定日
が同じであるということに気づいたのが、先日だったのです。
恵みになれていた私は、神様のあわれみと、すばらしさに7ヶ月も気づかなかったのです。
本当に、バカバカって感じです。このことを思い起こさせて下さったのも神様です。
あの2000年7月8日の決断がなければ、今の私はありません。
苦しみからの解放も、信仰生活も、結婚生活も、病のいやしも、兄夫婦の救いも、そして
みくにも存在しないのです。
それどころか、もっとわがままで高慢な、使いようのないクリスチャンになり、自分勝手な
信仰生活をおくっていたことでしょう・・・。(考えただけで自分でもゾッとします)
神様が導いてくださっている道を行くか、行かないかの決断は、後々、神様がご用意くだ
さっている祝福を見るか、見ないかに大きく関係するということを今、強く思わされます。
5年前、京都での1LKのひとり暮らしが決まり、5年後の今年7月8日は神様が与えて
くださった4LDKの一軒家に、家族3人クリスチャンホームで暮らせるなんて、なんて幸い
なことでしょう。
増し加えてくださる神様の恵み、神様のあわれみに感謝します。
(リディヤ)
〜 7月8日 〜