先日、妻と
みくにが一日いないことがありました。

僕は一人で家の中にいて、非常に寂しい感じがしました。
家に帰ってきて、
みくにが話す声や(何を言っているか分からないにせよ)、泣く声、
みくにをあやしたり、お世話をしたりするお母さんとなったリディヤさんの声。
普段なにげなく聞いていた声がしない家にいるのが、こんなにも変に静かで寂しいものなの
かと、ちょっと不思議な感じがしました。

思えば僕は、京都に一人で来ました。
あの時は、僕はほとんど持てる物もなく、わずかな自分の荷物と体だけでした。
それが今、妻が与えられ、この家が与えられ、車が与えられ、そして
みくにが与えられ・・・
その他、言葉に言い表すことができないほどの多くの恵みをいただいてきたことを
何故だかふと思わされました。

本当に多くの多くのものを主が与えてくださった。

よく、アブラハムが行く所を知らずして、神様が示される地に行き、
神様に聞き従い、多くの財産を手にし、多くを所有し、神様に祝福されたところを
読んで、「アブラハムはすごいなぁ」、その一方で「僕は何も無いな・・・」などと思ったことが
ありますが、とんでもない!

アブラハムの神が私の神、アブラハムの祝福は私の祝福、
私の神イエス・キリストは、今も昔も変わることのない祝福の神なんだ!と、
その時何故だか確信させられました。

この真実な主に、お従いさせていただいて、さらに主の祝福の道を!

   
『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
           そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、
           あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。』
                        (創世記12:1-2)

       『神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、
             あなたはここまで私を導いてくださったのですか。』
                        (2サムエル7:18)

(サムエル)

みくにとともに

   祝 福 

(with Mikuni-chan)
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