日曜日の礼拝前のことでした。

私は
みくにを座布団に寝かせ、ブランケットを掛けないまま、自分の用事をしていました。

そんな
みくにを見ていた今年5歳になる幼稚科の男の子が、みくにのところへ行って

みくにちゃん、寒くない?」と話しかけながら、自分が着ていたジャンパーを脱いで、

そっとやさしく
みくにの上に掛けてくれたのです。 なんてうるわしい光景なんでしょう。

彼は誰かに言われてそうしたのではなく、体に何も掛けてもらっていない
みくにを見て、

寒いだろうから何か掛けてあげようと思い、そして自分の服を脱いだのです。

彼も寒いだろうに。彼の行動を通して、愛は行動し、その行動のバックには愛による

何らかの犠牲があることを感じました。

私たちの罪のあがないのため、救いのためにイエス様が十字架におかかりくださったように。

みくには教会のお兄ちゃんが服を掛けてくれたことをまだ何も分かっていません。

きっと大きくなるにつれ、教会の兄姉の愛を知っていくのでしょう。

私も自分が気づいていないところで、どれだけ神様の愛や教会の兄姉の愛に助けられ守られ

ていることでしょう。

いつまでたっても神様の愛に気づかなかったり、分からないということがないように。

そして神様の愛が流れる者にしていただきたいと思います。


教会には
みくにの大好きなお菓子を買ってきてくれるお姉ちゃん、いっしょに遊んでくれる

お兄ちゃんもいます。

神様の教会で育っているお姉ちゃん、お兄ちゃんたちに囲まれ、
みくにが末っ子として今

神様の臨在の中で育てていただいてることを感謝します。

今は
みくにが末っ子で愛をいっぱいいただいてばかりですが、いずれお姉ちゃんや

お兄ちゃんと同じように、神様の愛をいっぱい流せる子となりますように・・・。


           
『教会はキリストのからだであり、いっさいのものを

         いっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。』

                        (エペソ1:23)

(リディヤ)



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みくにとともに

  愛は行動する  

(with Mikuni-chan)