〜 ごめんなさい 〜


僕が何か失敗や悪いことをした時、リディヤさんはそのことを注意してくれます。
「それは間違っている!」と。先日もそういうことがありました。


そういう時、僕はたいてい、彼女の言っていることを冷静に聞いて自分の間違いを認める、ということができません。僕はしばしば、最後まで話しを聞くこともせず、「だってしょうがなかったんだ」と弁解をしたり、嘘をついたり、はぐらかしたり、いちいち言ってくるリディヤさんに腹をたててしまったりします。

彼女が言わんとしていることを真に心を開いて聞き入れ、自分の非を認めて、「僕が間違っていた。ごめんなさい。二度と同じ間違いをしないように、僕を助けてくれないか?」と言えたらどれだけいいか!しかし、いつもそれがなかなか言えません。そうして、もうどちらもそのことに触れずに、うやむやの内に、何も真に解決されないままにやり過ごしてしまうのです。

仕事中、教会の子供たちのことを思い出しました。教会の子供たちは、まだ、1才から4才の幼い子供たちですが、悪いことをしてお母さんに怒られたら、自分が悪かったことを認めて、悪いことをした相手の所に行ってちゃんと目を見て、「ごめんなさい」と言うことができます。そして、言われた子も、「いいよ。」と言って赦してあげるのです。そして、次の瞬間また仲良く遊んでいるのです!子供たちのことを思った時、僕はそんな自分が恥ずかしくなりました。

やっぱり今日仕事から帰ったらちゃんと謝ろう、と心の中で思いました。
(神様。どうか家に帰ったらすぐ彼女に、ちゃんと目を見て謝ることができますように。)

やっぱりそのことに触れないでおこう、という思いが一瞬よぎりましたが、飛び降りるような気持ちで、
「ごめんなさい。」
「やっぱり僕が間違っていた。言ってくれてありがとう。」

そう言うとリディヤさんはすぐに僕を赦してくれ、僕達の間のわだかまりが取り除かれて、また仲の良い夫婦に戻れたのです。

目に見える妻との関係は、そのまま天の父なる神様との関係を現わしているのだ、と思います。僕も真実を尽くして神様の前にも、目に見える妻の前にも、いつもへりくだって自分の非を認め、心から「ごめんなさい」と言える者でありたいです。

(サムエル)
Samuel & Lydia
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