学校や職場で私はひとり。孤独だ。と感じたことはありませんか。
学校や職場で居場所が見つからない。そんなふうに思っておられる方はお
られませんか。神様を信じていれば、神様がいつも私たちとともにおられます。
いつだって私たちは決して一人ぼっちではないのです。
社会人スタートして、新入社員として会社に入った時は、同僚や先輩、様々
な人間関係に恵まれ、新鮮な気持ちでいっぱい。時が経つにつれ、周りの友
人達も社会人としてそれぞれの道を歩み始め、今ではかつての私の先輩は
退社され、なんと私が先輩として後輩をサポートする立場になっているのです。
「独り立ちの時期なのかなぁ〜」と思いつつ、今、与えられている環境をまず
大切にして、先輩はどんなことに目配り、気配り、心配りをしていたのかと考え
つつ、豊かな学びが与えられていることを神様に感謝しています。
かつて私は先輩のもとで教わっていた時、いつも、「先輩、先輩」と声をかけ、
分からない時、困った時は助けてもらっていました。私は先輩をものすごく信頼
していましたし、「先輩ならなんでもご存知だ」っと絶対的確信をもっていました。
ところが、自分が先輩の立場から後輩の質問に答える立場となり、たとえ先
輩として後輩より知識・経験が豊富であっても、全てを解決できる訳ではない
し、私の質問攻めは相当先輩の頭を悩ませていたんだな・・・。と今になってよ
うやく当時の状況が把握できるようになりました。
しかし、後輩よりも先輩の方が、多くを学べることに気づかされています。あら
ゆる質問の中で、自分の知識のなさ、経験のなさを痛感し、後輩をフォローしな
がらも、自分自身の今まで持っていなかった知識・経験を獲得していくことがで
きるのです。これは仕事をしていく上で、何よりも自分自身の財産なのだと感じ
ています。
旧約聖書の『箴言』は31章あって、毎日1章ずつ読んでいくと、1ヶ月で箴言を
通読することができます。私は毎日、箴言を読むことを心がけています。御言葉
によって品性が練られ、養われ、自分の仕事においてもより豊かな実を結ぶこ
とができるからです。神様の言葉に助けられて、後輩に仕事を教える中にも、
神様の知恵、アイデアを与えて下さるからです。
御言葉を土台として、神様の知恵、アイデアに満たされた先輩となり、先輩の
役目をしっかり果たせる者でありたいです。
No.155 先輩☆