先日、実佳が幼稚園から持ち帰った月刊絵本の中に「遊びながらご飯を食べたら、何を食べたか覚えていないし、食べ物もうれしくないよ。」と書いてありました。

聖書には、みことばは私たちの霊の糧として「食べる」という表現がしばしば使われています。聖書のみことばを読むとき、私も「ながら食べ」をしていないかしら?と考えてみました。何かをしながら聖書を読む事はないにしても、他の事を考え「ながら」、集中を欠いた読み方をしていないかしら?
朝、読んだみことばを夕方には忘れてしまうということは、みことばを「ながら食べ」しているということではないでしょうか?
それではみことばを頂いても、きちんと消化することができないでしょう。
もったいないばかりです!
みことばを頂くときは、ひとつ、ひとつのみことばを感謝しつつ、じっくり味わって頂きたいものです。
お米は噛めば噛むほど甘みが出てきます。
私もみことばをじっくり味わって、聖書に書いてあるように、みことばの甘さをいっぱい、いっぱい知っていきたいです!

 
 「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。
   蜜よりも私の口に甘いのです。」 詩篇119篇103節