先日、飲料についていたおまけの袋を実佳に渡したら、中からお守りの形をしたマスコットが出てきました。実佳は早速、幼稚園のかばんに付けようとしています。

我が家はクリスチャンホームなのでお守りなどは買わないし、持っていません。お守りを見たことのない実佳にとっては、ただのマスコットにしか見えないのでしょう。でも、飲料の景品でも、やはりお守りの類を持たせたくはありません。かばんに付けようとしている実佳に、「これは、あまりよくないからやめておこうか。」と言っても実佳は納得しません。「かばんにつけるの!」とがんばって離そうとしません。「しまったなぁ、中身を確認してから渡せばよかった。」と思いながら、もう一度説得。「これは神様がお嫌いになるものだからやめよう。」というと、実佳はさっきまでの抵抗は嘘の様に「うん、わかった。」と言い、手を離しました。そして、もうそのマスコットのことは何も言わず、家にある他のマスコットをつけるんだと言って自分で探し、付けていました。
正直言って、実佳がこれほど素直に「神様がお嫌いになるものだから」ということばに従ったことに驚きました。しかもそれは、本当は付けたいのに我慢しているというのではなく、「神様がお嫌いになるのものだったらいらない」という素直な反応だったのです。まだまだ幼いと思っていたのですが、生まれてからずっと教会で育まれ、神様のお話を聞いて育った実佳の中には確実に神様の存在が刻まれ、そして神様に対する畏れが育まれていることを知りました。幼い時から創造主なる神様を知り、神様に喜ばれること、神様が悲しまれることが何であるかをまなびつつ育つことができたらなんと幸せなことでしょう。教会の礼拝、祈祷会、集会に共に出席させていただき、みからだの中で育まれながら、そのような幸いに我が子が預かっていたことを知り、改めて神様に感謝!です。これから成長していく過程で色々な体験をしていくに違いありません。その中で、幼い時に心に刻み込まれた神様の絶対的存在はきっと、実佳を守り導いてくださるに違いないと信じます。

     
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」
                     伝道者の書12章1節