結婚の翌年から次々と子供が与えられ、にぎやかになると同時に夢中で日々を送る
八重子おばあちゃん。育児のため、教会にはだんだんと行けなくなってきましたが、イ
エス様を信じていました。さらに義智おじいちゃんの転勤で家族も大阪、福島、韓国の
ソウルへと移り住むことになったのです。
ソウル時代に子供は7人になり、終戦の1年前までソウルで生活。いよいよ日本に、
玄海灘を引き揚げる連絡船で渡って帰ることになりました。
おばあちゃんはその時を振り返ってこう言います。
「みんな救命胴衣をつけて、甲板に上がりなさい」と船員さんが言ったんですけど、
私は一番下の子供が赤ん坊だったので、背中へくくって、救命胴衣も着けられませ
んでした。船の中に残っていたのは私一人ぐらいだったでしょう。「上へあがりません
か」って何度も船員さんが言ったんですけど私はもうここで結構ですと言って一人だ
け船の中に残ってました。
背中におんぶされていた赤ん坊がクリスチャン3代目となった亜紗子母さんです。こ
うしておばあちゃんと子供たちは無事に日本に戻ってくることが出来ました。
義智おじいちゃんは仕事のため、まだ単身ソウルの地に残っていました。そして終戦
頃、当時のソビエトが韓国に入ってきて、日本人にとって状況が非常に危険になります。
しかし現地の仕事のスタッフである韓国人の方々が、日頃、おじいちゃんに何かと助け
てもらったからと、おじいちゃんをかくまってくださいました。こうして家族全員が無事帰
国することができたのです。
祖母 佐藤八重子
(2代目クリスチャン)
1996年頃、88歳
-2代目の証しB-
祖父 佐藤義智
戦後、50歳頃