終戦を一家は、東京で迎え、翌年大阪へ移ります。
約2年後のある日、子供の1人が遊びから帰ってきて言いました。
「お母さん、教会があったよ。」
家でイエス様の話をしていても自分の母親が教会に行けない事を気にしていた
のでしょう。この事をきっかけに、まず子供たちがみんなで日曜学校に行くように
なりました。
続いて、八重子おばあちゃんが、
「あ、自分も教会に行かなければいけないなあ」と思わされ、約20年ぶりに教会
に戻ることになりました。
後日、おばあちゃんはこう言っています。
「行きだすと、結構イエス様に捕らえられてね。今日までイエス・キリスト様にお
従いする一人となりました。」
そして、1950年に洗礼を受けました。
それ以来「イエス様にやみつきになってしまったんよ」と言うのがおばあちゃんの
口癖となりました。
85歳を過ぎて、八重子おばあちゃんは実の妹、留喜(とめき)さんと同居すること
になりました。2人で生活する中で留喜さんはイエス様を信じ、受洗の恵みに預かり、
約3年後召天しました。
留喜さんの召天式の後、おばあちゃんが牧師に言った言葉は忘れられません。
「今までは妹につきっきりでしたけれど、これからは奉仕に専念しますので、よろし
くお願いします。」
「また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。
すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたので
す。」
第一コリント人への手紙 1章28節
八重子おばあちゃんの好きな聖書のみことばです。
祖母 佐藤八重子
(2代目クリスチャン)
1996年頃、88歳
-2代目の証しC-