先日、映画『パッション』を観ました。
伝え聞く『パッション』の前評判から、幼い子供たちは置いて、主人と私と順番に映画を観に行く予定にしていましたが、成り行き上、実佳が同席することになりました。

子供向けのテレビでも悪役のキャラクターが登場したり、ちょっと暗い場面になったりするだけで「こわい」といって泣きそうな顔をしている実佳にとって、『パッション』はただ「こわい」という思いを与えてしまうだけではないかと心配をしていました。
たしかに『パッション』の映像は実佳に強烈な印象を与えたようでした。でもそれは、やみくもに「こわい」といった恐怖を与えるものではなかったようです。『パッション』を観て以来、実佳は折に触れ「イエスさま、じゅうじかにかかってはったなぁ。」「どうしてじゅうじかにかかってはったの?」「じゅうじかにかからはるまえは、たたかれてはった。(鞭打たれていた)」「どうして?」「どうして手にくぎ(釘)さされたの?」と聞くようになりました。
今までも教会や保育園、幼稚園で聞いてきたお話や、歌ってきた賛美の歌詞にあったイエス様が映像を通してより鮮明に実佳の心に刻まれたようです。そして、実佳が質問するたびに、「実佳や主恩、パパやママ、みーんなが今までにした悪いこと、これからしてしまうかもしれない悪いことのために受けなければいけなかった罰をイエス様が代わりに受けてくれたんだよ・・・」などと話す機会が与えられています。

幼い頃からイエス様が成してくださった十字架の贖いがはっきりと心に刻まれるなら、それはすばらしいことです。「幼いからまだわからない」と考えるのではなく、今からイエス様の十字架の贖いについてはっきりと語り続けていくことの大切さを教えられました。
『パッション』を通しても、私に、実佳に、それぞれに必要なメッセージを与えてくださる神様に感謝!です。

映画『パッション』が多くの人に観られ、神様の働きのために大きく用いられますように・・・。